はじめまして「れでぃお」と申します。
四国在住の53歳 てんびん座 A型
マラソンとバドミントンが特技といえば特技。
読書・音楽・旅行・料理・お酒・スポーツ・ドライブ
マンガ・ゲーム・美味しい店発見・お馬・お船
などなど。。。
書き出すと、きりがないくらいに多趣味な人です。
若かりし頃の、れでぃおの写真も掲載しています。
マニアックな方は、是非、ご覧ください。
興味のない方はスルーして、続きをどうぞ。
れでぃおのオンラインビジネスの歩みと実績
2015年7月
せどり無料サポート企画に応募
2015年8月
本格的に、Amazon販売開始
2015年10月
メンターと懇親会で会い、マインドが変わる
2015年11月
トレンドアフィリサイトの構築開始
2015年12月
Amazon販売で月商100万円
純利益35万円達成
2016年1月
無料せどりツアーを開始・当ブログ構築開始
同月、アフィリエイト収入で5万円を達成
2016年2月
日本全国出張せどりツアー開始
ツアー収入にて、月収100万円を達成
その後は、月間平均で10人のツアーを実施
2016年10月
ブログにてアフィリエイト開始
2016年11月
アフィリエイト収入が月間20万円を突破
2016年12月
教材販売開始・月間総収入が120万円を記録
2017年1月
ツアーメンバー限定のメルマガ開始
2017年2月
ブログ読者様のメルマガ開始
2017年5月
コミュニティー【Radio-Meeting】結成
参加メンバー25名が所属
2018年5月
有料コミュニティーメンバーは月額制にも関わらず、
平均所属人数25名・継続率は80%を超える
2018年8月
無料レポート「日本全国出張せどりツアー」発表
2018年9月30日
第22回 e-Book大賞を受賞
皆様の温かい応援のおかげで!
このような栄誉ある賞を、賜ることが出来ました。
心より、御礼申し上げます。
私のレポートを推薦して頂いた方の、お言葉です
れでぃおの、これまでの活動実績の一部です
れでぃおの目指す方向性
私、れでぃおはネットビジネスの世界に飛び込み、
幸いにも、安定して収入を得られるようになりました。
しかし、ここまでの道のりは相当に厳しく、
甘くない世界であった事を感じています。
せどりというのは、確かに再現性も高く、
即金性もあるので、ネットビジネスを開始するには
かなり向いているのですが、難しい面もあります。
下記は、私のコンサルを受け続け、
せどりを継続した末に結果を出した方々の一部です。
成果の出ない方の共通点として、
下記の2つの問題点があります。
・せどりをビジネスとして、シビアに考えていない
・副業としてネットビジネスに取り組む為のマインドがない
どんな手法だろうが、ノウハウだろうが、
きちんと実践・継続すれば成果は必ず出ます。
(成果量の個人差はありますが)
しかしながら、ほとんどの方が、
ネットビジネスを継続できないのが、残酷なまでの現実です。
れでぃおは、ネットビジネスにこれから取り組もうとする方、
または、取り組んできたけど成果の出ない方に、
出張せどりツアーという形で、
・リアルにお会いしてマンツーマンで
・できるだけ初期コストをかけずに
・ネットビジネスに必要なマインドを学んで頂き
・一生、私がサポートし続けていきたい
これが、れでぃおの思いです。
ネットビジネスに関する私の考えは、
コチラの記事の中の音声を、お聴き下さい。
せどりやネットビジネスを、するつもりのない方でも、
是非コチラの記事をお読み下さい。
最後に、
私の誕生日に、長いお付き合いの
コンサル生「こぉ」さんから、
なんとお祝いの音声を頂きました!!
もう感動の嵐です。
こぉさん、本当にありがとうございます。
ここからは、私が「せどり」を始めるようになった
いきさつを書かせて頂いております。
少し、長い文章ですが
お時間のある方は、読んで頂けると嬉しいです。
朝7時前に店に入り、深夜1時過ぎに店を出る。
ファーストフードの店長になって、
約2年間はそんな生活だった。
でも、はっきりいって予想の範囲内であり、
前職の建設業メーカーの営業マンだったときも、
ほぼ仕事の拘束時間はそんなもんだったし。
別に辛いとかは思わず、
むしろ昔からの夢だった飲食業に転職できた喜びや、
小さくても1店舗のトップである店長として、
自分の理想の店舗運営ができることに
心から、やりがいを感じていた。
ここからは、冒頭の話よりさらに昔の話。
「れでぃお君、名古屋で新規営業所を立ち上げてくれないか」
当時の上司が、まだ28歳だった私に言った。
地方の中堅建設関連メーカー、でも創業は明治44年。
商工会議所の会頭を社長がしてたくらい老舗の堅実な会社に、
私が入社して3年が過ぎたある日のことだった。
そのころの私は、膨大な金額の35年ローンで家を建て、
娘が、あと2ヶ月で産まれるという状況だった。
単身赴任を断るのか、どうか。
今の若い方だと、どんなふうに思うのだろう。
でも、そのときの私は会社のために、
いや、いま思えば
自分の出世欲のために 名古屋への単身赴任を快く受け入れた。
それからは、私の思惑どおり 私は若くして、
「その会社では」出世した。
けど その代わり、名古屋営業所を立ち上げたあとも、
博多⇒東京⇒大阪⇒仙台⇒広島 と
新規営業所を立ち上げていく任務を受け 気が付けば、
10年の歳月が流れていた。
名古屋に行って、しばらくして産まれた娘は 10歳になっていた。
10年間、月に1回、家に帰れるかどうか そんな状況。
仕事人間という言葉がピッタリの私でも
「パパ、またいつかね!」
という言葉で見送ってくれる10歳の娘のことを思うと
「このままじゃ、まずいよなあ・・・」 と、数年前から思い続けていた。
「家族と一緒に過ごせるように、本社に戻りたいです」
社長にお願いしたが、まあ無理な話なのは自分でも 自覚していた。
なぜなら、
「これから東京などの大市場での営業を強化しないと、
建設業界は厳しくなる一方の状況なのです! 」
と、
当の私が営業会議で偉そうに 言ってたではないか・・・
また、家族との時間が欲しい、という理由の他にも
その会社の数字的なことを把握していた私は、
「10年くらいは、なんとか持つだろう」
「でも、20年は・・・」 正直、そう思っていた。
そうならないように 自分が頑張って、会社に利益をもたらす。
それが、私のその頃の「生きがい」だったが、
頑張れば頑張るほど、周囲の人からは 浮いていったことが辛かった。
20年後、自分が50歳を過ぎた時に
この会社でしか通用しないスキルを持った 50過ぎのオッサンは
どう考えても路頭に迷うのが見えている、そんな、恐怖感もあった。
結局、周囲から 「もったいない!」 「絶対、後悔するぞ!」
という有り難い言葉を頂きながら、
私は家族と一緒に過ごせる場所で、
かつ昔から本当にやりたかった職業、 飲食業に転職した。
大学生時代に、某ファーストフードで 朝から晩までバイトして
夜は、バーテンダーのバイトをしていた。
お客様に「ありがとうございます!」
と、1日に何百回も言える仕事って 素敵だなあ、と心から思っていた。
昔からの憧れを胸に私は、学生時代の経験を活かして、
そのファーストフードの店長に転職した。
ここで、やっと冒頭の話に戻るわけだが、
ほんとに正直、1日18時間働いてたけど 辛いとは感じなかった。
やりがいがあったし、 新しいことに挑戦できて 何よりも嬉しかった。
でも、ある日突然 その素敵な時間は一気に暗転した。
家族の事情。
もう珍しくもない話なんで 細かくは説明しないけど
1日18時間の仕事を、できるような 状況ではなくなり、
それどころか、1日8時間だって 仕事するのが難しい状況になった。
2015年の7月、私はそんな現状を どうにかできないか、
なんでもいいから、やってみよう そんな気持ちでいた。
そんなときに、出会ったのが 「せどり」というビジネスだった。
「せどり」 との出会い に、続く。